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【岐阜】養老町にある養老公園で養老の滝と五分咲きの桜 その1 (養老の滝篇)

名所史跡めぐり
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テレビを見ていたら、東海地方の主な桜の名所の開花状況を説明していました。
関ヶ原町からほど近い養老公園の桜が、五分咲きになったとのこと。

ということで、岐阜県養老郡養老町(ようろうぐん ようろうちょう)にある養老公園まで、桜を見に行ってきました。

養老町といったら、「養老の滝」が歴史もあって有名です。
長らく見に行ってなかったので、まずは滝を見に行くことにしました。

養老の滝の近くにある駐車場へ

関ヶ原町から養老公園へは、国道365号線と県道56号線(薩摩カイコウズ街道)を乗り継いで行きます。

ただその前に「養老の滝」を見に行くため、「安田ひょうたん」が目印の交差点「養老公園東」で西に曲がって、坂道(県道96号線)をうねうねと上っていきました。

案内板だらけの途中の分岐点では、どちらに進んでも「養老の滝」に行けます。

カーブミラー

ボクは「養老の滝」のすぐ近くまで行きたかったので、右折して山道を上がっていきました。
その山道はたいへん狭く、ヘアピンカーブがいくつも連続しますので、注意が必要です。

駐車場から養老の滝へ

さて駐車料金を支払って駐車場の中に入ると、まだ 2台の自動車しかありませんでした。
NHK の朝ドラを見終えてから出発したのですが、急がなくても良かったようです。

自動車を降りて外に出ると、春になったとはいえ空気はまだ肌寒いようです。
薄手のコートを着てきたことを、すこしばかり後悔しました。

梅の花

駐車場から養老の滝までは 5分ほどですが、何段もの階段を下りていくことになります。
ただ濃尾平野を見たり、紅梅を見たりしながら歩いたので、飽きませんでした。

さらには滝の流れ落ちる音が、足取りを軽くしてくれます。

養老の滝

養老の滝(遠景)
養老の滝(遠景)

養老の滝の近くまで来ましたが、あたりを歩いている人は誰もいません。
さきに到着していた人は滝を見終わり、ふもとの方へ下りてしまったようです。

養老の滝(近景)
養老の滝(近景)

いつからあるのか判りませんが、養老の滝の手前には、しめ縄が付いた一対の岩があります。
縁起物なので、岩の間を通って滝を見に行きました。

水しぶきこそ掛かりませんが、滝に近寄るとひんやりとします。

滝壺に近寄ると落石の危険

なお落石の危険があるので、滝壺周辺の水辺に入ることは禁止されています。
一応それを示すために、低い位置に細いロープが張ってありました。

滝の下流を見に行くと、大きな岩石がゴロゴロしていたので、冗談ではなさそうです。
滝の手前にある、しめ縄が付いた一対の岩も、それを転用したのかも知れません。

この「養老の滝」は岩が崩れやすそうなので、滝行には不向きなようです。

過去には養老が元号に

湧き水

奈良時代に元正天皇が、「当耆(たき)郡多度山に美泉がある」との知らせを受けました。
みずから美濃国の多度山(現在の養老山)の美泉まで出向きます。

そこで元正天皇が美泉の水をいろいろと試したところ、その治癒力と若返り効果に驚いて、次のように言いました。

昔聞いた話で、後漢の光武帝の時に醴泉が出て、飲むと病気が治ったという。
醴泉は美泉とのこと、この水で人をうべきだ、水が澄んでいるのだから。

大変めでたいことが起きたので、元正天皇は元号を「養老」に改めました(続日本紀巻七)。

養老の滝伝説は

養老の滝伝説

あまりにも親孝行な息子なので滝の水がお酒に変わったという「養老の滝伝説」は有名です。

ただ続日本紀巻七の原文を眺めてみたのですが、そんな記述はどこにも見当たりません。
「孝子」という文言こそありますが、それは広く一般に親孝行の子を指す言葉です。

後世になって、元正天皇の逸話から創作された、まことしやかな民間伝承なのでしょう。
それが鎌倉時代に伊賀守橘成季の手によって、古今著聞集に集められたようです。

つぎは養老公園の桜を見に行きます。

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