福井県南条郡南越前町(なんじょうぐん みなみえちぜんちょう)には、三ヶ所山があります。
北側ふもとに湯尾三十三ヶ所観音堂があるので、西国三十三所観音が祀(まつ)られているのでしょう。
ということで今回は、三ヶ所山に登ってきました。
ついでに愛宕山(あたごさん)の燧ヶ城跡(ひうちがじょう あと)にも、久しぶりに登っています。

八十八ヶ所登り口から、湯尾峠を通って、三ヶ所山頂上まで登ってきました。
三ヶ所山から北側ふもとへ


さて三ヶ所山頂上からは、来た道を途中まで戻ったあと、北側ふもとへ下ってみることにしました。
登山道はかなりの急勾配で、右へ左へ頻繁(ひんぱん)に曲がりくねっています。
もちろん登山道沿いには、観音像の安置された祠(ほこら)が点在していました。
高い場所にある祠ほど、世話をしている人は大変そうです。


ということで、ふもとまで下ってくると、国道365号線に出ました。
三ヶ所山登り口には、「湯尾三十三ヶ所観音霊場」と刻まれた石標が建てられています。
湯尾峠北側登り口


三ヶ所山登り口からは、湯尾峠登り口(北側)へ向かうことに。
ただ国道365号線は自動車が行き交うので、山沿いの道を歩いていきます。


しばらく歩いていると、かつての旧国鉄北陸本線跡を利用した道路の上を通りました。
むかしそば屋に寄った帰り、相互通行の湯尾隧道(トンネル)をくぐって、通ったことがあります。

ということで、程なくして湯尾峠登り口(北側)に着きました。
かつては旧北陸道の要衝だったようですが、明治中期の鉄道開通とともに寂れてしまったそうです。
血頭池へ寄り道


さて湯尾峠へと続く坂道を登っていると、血頭池(ちこべいけ)への入り口がありました。
南北朝時代、上野ヶ原の合戦で討ち取った高師泰がたの大将首を洗ったことが、名前の由来だそうです。


坂道を登っていくと、程なくして血頭池らしき場所に着きました。
水が溜まりやすい地形だったので、人工的に土盛りして農業用ため池に作り変えられたようです。

ちなみに池のほとりを歩いて奥へ進むと、谷あいの地面が段だんになっていました。
かつては、棚田もしくは段だん畑として利用されていたと考えられます。
地名「ちこべ」の本当の由来は、培ふ辺(つちかふべ)が転訛したのかも知れません。
湯尾峠へ北側から


血頭池からは、ふたたび湯尾峠を目指して、つづら折りの坂道を登っていきました。
荷物を運ぶ馬もたくさん峠を越えたようで、途中の谷筋には馬の水飲み場が設けられています。


湯尾峠がほど近い場所には、峠ご膳井跡もありました。
明治天皇が北陸巡幸の途中、湯尾峠で休憩されたときに提供された水は、ここで汲まれたようです。
ということで、ふたたび湯尾峠に着きました。
石垣の傷みが著しいようで、被されたブルーシートが痛々しいです。
つぎは久しぶりの燧ヶ城跡に登ります。
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