岐阜県養老郡養老町(ようろうぐん ようろうちょう)には、象鼻山(ぞうびざん)があります。
ふもとの道路を通るたび、いつも象鼻山古墳群の案内板が気になっていました。
ということで、象鼻山から南宮山まで登って、そのまま南宮大社まで下ってきました。
象鼻山古墳群だけでなく、途中の栗原山にもいくつか史蹟があります。

南宮山ハイキングコース利用者駐車場から、南宮山のすそ野を歩いて、象鼻山古墳群入り口まで行ったあとは、象鼻山頂上まで登りました。
象鼻山2号墳から鉄塔をくぐって
南宮山方面へ 象鼻山2号墳
さて象鼻山頂上にある象鼻山1号墳からは、踏み跡をたどって南宮山方面へ歩きはじめました。
古墳から下りてくると、すぐ木立の中に象鼻山2号墳があります。
送電鉄塔をくぐって 急斜面を右へ迂回
その先にあった送電鉄塔をくぐったら、踏み跡がバラけてしまったので、適当に下っていきました。
急斜面を右へ迂回して一旦、鞍部まで下りていきます。
象鼻山北側の鞍部 南宮山への道案内
象鼻山北側の鞍部からは、ふたたび緩やかな上り坂が始まりました。
途中の二股道には、南宮山の方向を指し示す道案内のテープが巻かれています。
多くの僧坊があった、栗原九十九坊跡
一面に広がる平坦地 段々になった斜面
しばらく南宮山方面へ登っていくと、突然あたり一面に平坦地が広がりました。
平坦地の端からふもとの方を見下ろすと、斜面が下の方まで段々畑のように続いています。
堀切跡か(左) 堀切跡か(右)
さらに歩いていると、砦跡などでよく見られる堀切跡らしき場所もありました。
もしかすると、砦として使われたことがあるのかも知れません。
栗原九十九坊休憩所 九十九坊記念塔
段々を見ながら奥へ進んでいくと、ベンチの並べられた休憩所がありました。
かつては栗原山清水寺(せいすいじ)という、多芸七坊に数えられるほど大きな山岳寺院があったそうです。
栗原山の中腹からふもとにかけて、多くの僧坊があったことから「九十九坊」とも呼ばれました。
現在はふもとに、清水寺公園があるだけです。
新撰美濃志のコマ番号:49/446
国立国会図書館デジタルコレクションより
栗原連理のサカキと長宗我部盛親陣跡
栗原連理のサカキへの案内板 九十九坊跡の段差
ついでに近くにある「連理のサカキ」も見に行くことにしました。
尾根筋から右へ伸びる脇道に入って、だだっ広い栗原九十九坊跡の中を歩いていきます。
長宗我部盛親陣跡 長宗我部盛親ののぼり旗
程なく白いのぼり旗が立てられた、長宗我部盛親陣跡に着きました。
大むかしに焼失した栗原九十九坊の跡地だったので、陣を構えるのに便利だったのでしょう。

その後ろには根元で幹が二股に分かれている、サカキの古木が生えていました。
一方の幹の枝が他方の幹の枝と多数くっついているので、「連理のサカキ」と呼ばれているそうです。
連理の枝は、仲睦まじい男女のたとえに使われます。
白居易の「長恨歌」の一節「地に在りては願はくは連理の枝とならん」が元になっています。
栗原山三角点へ寄り道
連理のサカキから尾根の上へ 南宮山方面へ
連理のサカキからは、来た道を戻らずに、急勾配の斜面を登って尾根筋に戻りました。
倒木だらけでしたが、ひたすらに南宮山へ向かって登っていきます。
分岐点(左)栗原山三角点(右)南宮山 栗原山三角点
しばらくすると気になる分岐があったので、ちょっと寄り道してみることに。
踏み跡をたどっていくと、栗原山の山名板があって、近くに三角点もありました。
ここは標高が低めなので、栗原山頂上ではなさそうです。
さらに南宮山を登っていきます。
コメント